麻衣が拗ねて僕の部屋を出て行って、明けた翌日。

いつものようにお茶の要求をするために書斎を出てみれば、いつもとは違う麻衣の姿があった。




Summer×Summer 02




「あー、ナル! お茶なら自分で淹れてね」

「なんだそれは」

「今忙しいの!」

どうやらお茶を淹れられない理由を訊いたのだと思ったらしい。だが、今訊きたいのはそんなことではない。

「そうではなくて……お前は何を着ているんだ」

「ああ」

きょとんとした顔をすると、麻衣は一度自身の姿を見下ろし、すぐに顔を上げる。

僅かに首を傾げると、金属が重なり合う音がした。珍しく髪をアップしているので、おそらく髪飾りの音であろう。

「浴衣?」

確かにその通り、彼女が身に纏っているのは紛れもなく、浴衣だ。けれども、問題はそこではない。

「何故浴衣を着る必要がある」

訝しんで問えば、麻衣は声高らかに宣言した。


「花火大会に行くから!」


本当に行く気だったのか。

呆れつつリビングのソファに座り、本を開くと、麻衣がソファの横まで来た。目線をやれば、浴衣の袂を翻して言う。

「えっへっへー。可愛いでしょ」

付き合っていられない。この手元の本を読んでいるほうが、比べるまでもなく有意義に思える。だからここは、下手にどうこう言うより、適当に合わせておいた方が得策だ。

「ソウデスネ」

その適当さ加減に気付いたのか、麻衣がすぐさま噛み付いた。

「なにそれ! それで褒めたつもり!?」

「そんなことより、お茶」

「ちょっとさっきあたしが言ったの聞いてた!? 今、忙しいの!」

「お茶」

本に視線を戻しながら言い重ねる。痛いほどの視線を感じたが、気にしない。こういうときは、無視をするに限る。

「ったく」

麻衣はぶつぶつと文句を言いながらキッチンへと向かった。かと思うとすぐにキッチンから声を掛けてくる。

「この浴衣ね、自分で着付けしたんだよ」

すごいでしょー、という麻衣の声に、反応してやる義務はない。麻衣はといえば、最初から反応を期待していないのか、それとも反応を求めていないのか、構わずに一人で話し続ける。

麻衣の話によれば、麻衣が着ている浴衣は松崎さんからのお下がりで、丈も麻衣に合わせて松崎さんが直してくれたらしい。「綾子ってやっぱり家庭的なんだよねー」という麻衣の言葉に、もし返事をするとすれば、「ああ、そう」だ。この言葉だけで足りる。彼女が家庭的であろうがなかろうが、僕には何の関係もない。着付けは、以前に原さんから習っていて、それを思い出しながらどうにか今の形にすることが出来たらしい。その他にも、髪飾りはこの間買ったばかりの新品なのだとか、下駄はサイズが変わっていないから中学生の時のを使えたのだとか、誰からの相槌もないくせにつらつらと喋る。もし、返事もしない僕が実は話を聞いているのだと麻衣が思っているのだとしたら、あまり面白い話ではない。そのことを裏付けるかのように、無言のままでいた僕に、何の躊躇いもなく麻衣は訊く。

「ダージリン? アールグレイ?」

実際、僕は麻衣が一人で喋っていた内容を聞いていたのだから、一層面白くなかった。これだけ大声で話されては、自然と耳に入ってきてしまうのだから仕方がない、と眉を寄せながら思った。今までどおり、返事をせずにいようかとも思ったが、「あんたがご所望のお茶をわざわざ淹れてやってるんだから、返事ぐらいしなさいよ!」と一段と大きな声でがなりたて、挙句に「お茶ぐらい自分で淹れろー!」と言いながら部屋を出て行く麻衣が容易に想像出来る。

「ダージリン」

そう言えば、何処か麻衣に負けたように感じた。麻衣は、僕がなにを考えているか知る由もなく、相変わらず機嫌の良さそうな声だ。

「はいはーい」

ダージリンを選んだことに理由はない。

ただなんとなく、だ。

「麻衣」

なんとなく、訊いてみる気になった。 

「なにー?」

キッチンからは、間延びした返事とともに、陶器の音が耳に届く。

「誰と行く」

「何が」

こういうことに関しては勘が悪い。それともわざと勘が悪い振りをしているのかもしれない。

「花火大会」

「ああ」

背後から聞こえるのは、一点の曇りもない澄んだ声。




「ひとりだよ」




大馬鹿の声だった。



僕は思わず手元の本から顔を上げた。






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