12 本領発揮












滝川の大声に、安原は目を顰めながら所長室を気にして少し慌てる。

「まったくもう! 気をつけてくださいよね、所長もいるんですから」

安原の声を潜めながらの指摘に滝川も慌てて所長室の方を窺う。それと同時に、滝川の勢いもやや減速する。どうやら滝川はナルの存在を忘れていたらしい。

「せっかちなんですよ、滝川さんは」

安原が溜め息のついでのように言った。これには滝川の目も少々据わってしまう。

「おまえが妙にもったいぶっているんだろ」

「せっかく久しぶりなんですから、滝川さんで遊びたいじゃないですか」

からかうのは止めておく、とさっき言ったばかりの言葉はもう無効になったらしい。

「でってなんだ、でって。滝川さんと、ぐらいにしとけ」

「はいはい」

わざと言って滝川に噛み付かせたくせに、安原は相手にもせずに軽く流した。滝川はとうとう項垂れた。

「ほら、さくさくいきますよ」

「あ?」と言いながら滝川は顔を上げた。

「答え、知りたいんでしょ」

「さっきから言ってるだろ」

安原は滝川の言葉に神妙に頷く。

「さて、さきほどの四つの質問、関係ないこととあることが入り混じっているようで実は違うんです」

まるで謎解きでも始めるかのような口ぶりだ。

「どういうことだ?」

「実は、全て関係のあることなんです」

「全部?」

「ええ。僕がここ二、三ヶ月事務所を休みがちであったことも、谷山さんの元気がないことも、谷山さんが今日休んでいることも。そして、僕が滝川さんを待っていたことも」

「はあ? 麻衣の元気がないことと今日休んでいることは関係ありそうだが、お前がバイトを休んでいたことが麻衣にどう関係あるってんだよ」

「それがあるんですよ。まあ、その関係はあとで話すとして、まず話しやすいところから話しましょう」

安原は遥かに小さくなった氷が浮かぶグラスに一口口をつけた。

「僕が休暇を取っていた理由ですが、忙しかったんですよ、単純に」

「理由は? 勉強関係だとは聞いていたが」

季節柄、本業も副業も立て続けに仕事が舞い込み、滝川はあまり事務所に顔を出していなかったためすっかり安原が休んでいる理由を聞き逃してしまった。そもそも、安原がこんなにも長い間休んでいたこともつい今しがた聞いたのだから、その理由など知るはずもない。

「試験が続いていて」

試験、という単語を聞いて滝川は眉を寄せる。

「普通、試験に何ヶ月もかかるか?」

それに、安原は普通の試験ぐらいではバイトを休まないはずだ。

「まぁ、そうですよね。言うなれば、普通の試験じゃなかったんですよ」

「あぁ?」

試験に普通も異常もあるものだろうか。滝川は思わず頭を傾げた。

「実は、司法試験受けていたんですよね、僕。正確には受けている、ですが」

「司法試験って、司法試験?」

「はい。せっかく法学部なんですから、受けておかないと、と思いまして」

三大難関国家試験であり、現代の科挙とまで言われている司法試験を、せっかく、とか、受けとかないと、とか、流石は安原中々の大物ぶりである。今の言葉を何年もかけて司法試験に臨んでいる者が聞いたら、抹殺されかねない。

「弁護士になるのか?おまえさん」

「それはまだ未定です」

未定も何も、試験を受けているということは、そういうことなのだろう。

滝川の疑問を感じ取ったのか、安原は続けた。

「司法試験に受かったからといって弁護士になるとは限りません。裁判官、検察官、弁護士のいずれかを選択しなければなりませんし、全く別の職に就くかもしれません。それに、七月に論文式試験が終わってその結果がまだ出ていないんです。それが受かっていたとしても口答試験がありますから、道はまだまだ長いんですよ。もし落ちたら院にいくつもりですし」

最高学府の首席を突き進むようなやつが何を言うんだか。

滝川にはとても安原が落ちるとは思えない。とはいえ相手はあの司法試験である。受験者は安原のような頭脳の持ち主たちがほとんどで、安原以上に努力をしている者も五万といるだろう。それは滝川にも十分にわかっている。十分にわかっているが、それを加味していても、安原はちゃっかり受かって、何でもない、小テストで満点取りましたよ、というくらいの軽さでもって合格報告をしている場面がそれはもう鮮明に想像できるのだが、そこはあえて言わないことにした。

「院って大学院?」

「ええ。ですから、今平行して院試の準備もしているので実はまだ結構忙しいんですよね」

「院試って確か夏じゃないのか」

「ああ、僕は修士ではなく専門職の試験を受けるのでもう少し先なんです。まぁ、それはいいとして、とりあえず僕が休んでいた理由はそういうわけです。いくら僕でも何の準備もなしに司法試験は受けられませんから、お休みさせてもらっていたんですよ」

理由はわかったが、それにしては、安原の取った休みは短すぎたような気がする。確かに半年から一年ほど前から以前よりはバイトに入る回数は減っていたが、普通司法試験を目指すとなったら、もっと必死にやっているものではないのだろうか。安原からは必死な素振りなど全く感じなかった。だから滝川は今の今まで安原が司法試験を受けているなど知らなかったのだ。

そして、安原の休んでいた理由がわかった滝川には、ますます、それと麻衣のこととの繋がりが見えなくなった。

「お前さんの事情はわかった。んで、その先は?」

安原は神妙に頷く。

「まず、谷山さんが今日休んでいるのは体調が悪いからというわけではありません。企業の説明会らしいんです。新卒採用向けの」

「ああ。麻衣ももう就活が始まるのか」

「そうなんです。まあ、説明会自体は以前から少しずつ行っていたようですが。次に、最近元気がなかった理由もそこに関係があります」

「説明会に?」

「就活に、です。将来について不安があるみたいですね、谷山さんは」

「やりたいことがないとか?」

「それもあるみたいです。とりあえず就職すればいいと思っていたようなんですが、それでは駄目だと思うようになったらしくて。でも、考えても答えは出ないみたいで」

「ゆっくり考えればいいじゃないか」

「そうはいきませんよ、半年後にはもう本格的に活動しなくちゃいけないんですから。いろいろと準備も必要ですし」

「今の時代転職なんて普通だろ? とりあえず就職する、でもいいんじゃないのか?」

「もちろん、そういう考え方もありますけどね。谷山さんはそういうタイプじゃないでしょう」

「確かにそうだな」

「そのことでずっと悩んでいたみたいですよ」

「夏はライブが多くて俺もあんまり来てやれなかったからな。相談に乗ってやれなかった」

滝川はこの夏を後悔するように背にもたれると、天を仰いだ。そして、すぐに起き上がる。

「んで? そこまでわかってんだ。お前さんはなんか言ってやったんだろ?」

「いえ、何も」

あっけらかんとした口調の安原に、滝川は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

「は? 何も?」

「はい。全く」

悪びれもなく告げる安原に対し、滝川は身を乗り出した。

「お前、麻衣が将来のことで悩んでるって知ってて何も言わなかったのか!」

「はい」

「アドバイスするなり上手く励ますなり何なりお前なら出来ただろう!」

「出来たでしょうねぇ。しかも、追い詰めるようなことまで言ってしまいました。わざと、傷口に塩を塗りこむような言い方を」

いけしゃあしゃあと言う安原に、滝川は怒りが吹き上げてきた。

「お前なあ……ッ!」

掴みかからんばかりの滝川に、安原はいつもの、一癖も二癖もある笑みを湛えながらさらりと告げる。

「安原、久々に仕組んでみました」











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