11 曲者











 

絶えぬ人々と暑さとが不協和音のように不快な外界と、喧騒とは程遠い小さな心地よい居場所を間切るブルーグレーの隔たりを解き放つと、もう随分と聞き慣れてしまった軽やかな音が鳴る。

そのとっておきの世界で、妹のように、そして娘のようにかわいい少女に会えると思っていた滝川を待っていたのは、ここしばらく見かけていなかった少女の同僚であった。そのことに軽く驚きつつ、意識もせぬうちに少しがっかりしてしまったのが相手にも伝わったのか、「よう」という滝川の声掛けに安原は芳しくない気色を返した。

「滝川さん、何やっていたんですか、待ちわびていましたよ」

口調は全くもって熱烈歓迎という気配ではないが、待ちわびていたということはこの訪問は歓迎されているのだろうか。少なくとも滝川にはあまりそうは見えない。

デスクについていた安原は顔を僅かに動かして滝川を見止めると、久々の対面であるにもかかわらず然して驚いた様子も見せなかった。そして、その口ぶりはまるで今日滝川が訪れるのがわかっていたかのようで、密かにたじろぐ。その微かな隙を少しも逃すつもりはないのか、横目で滝川を見ている安原の眼鏡の奥の瞳がぎらりと光ったような気がした。

そのあまりにも尤もなことを言っています、と全身で表しているかのような安原の態度が作りだした状況に滝川はのまれてしまい、何故だか自分が悪いことをしてしまったような気になる。

「あ、わりぃ」

条件反射のように謝ってしまったところで、ふと我に返った。

俺は約束なんぞ何もしてねぇ!

口を開こうとしたところで、安原はすかさずそれを遮断した。

「そんなところにぼーっと立っていないでください。通行人の邪魔です」

だれが通行するんだ、という滝川の言葉は「だ」を発音したところで口の中に消えることになる。

「もし依頼人がいらっしゃったらどうしてくれるんですか。滝川さんがぼーっと突っ立っているせいでここが渋谷サイキックリサーチだとわからずに回れ右して帰ってしまうかもしれないじゃないですか。もしくは滝川さんのその派手な格好に驚いて、ここが胡散臭いオカルト集団だと思って変な噂が流れてしまったら大変なことですよ。立派な営業妨害です」

安原は口を挟ませる隙を与えずに、つらつらと語る。まるで初めっから台本でもあって、それを上手く演技付きで読んでいるだけであるかのようだ。

「さらには、滝川さんがそこに突っ立っていることで事務所内の室温が上昇しそれを認知した空調が温度を下げようと威力を強め、事務所の経費がかさみさらには環境問題にまで……」

「あー、わかった!」

滝川は安原の声を打ち消すように声を張り上げながら、片手を上げもう片方の手でわざとらしく片耳をふさいだ。わかりやすくいうと、「黙れ」のポーズだ。

「全て俺が悪い。さっさと中に入るからもう言ってくれるな」

そそくさと中へ踏み入れると、後ろ手でドアを閉じた。

「わかればいいんですよ」

安原は満足そうに微笑んだ。にやりという擬音がつきそうなぐらい、完璧な『微笑み』であった。

完全に遊んでやがる。

滝川はそういえばこいつはこういうやつだったなとこの場は諦め、言い返すことをやめた。

久しぶりのこの性格は、かなり堪える。この事務所の所長であるナルと久しぶりに会ってもひどく疲れるが、滝川は、実は安原の方が倍は疲れるかもしれない、と思った。

ナルは他人で遊ぶなんて時間の浪費になるような無駄なことは決してしないし、あとはあのナルシーっぷりを軽く受け流してやる作業の感覚を取り戻すだけで粗方は遣り過ごせる。その点安原は、他人には無駄につっかかってくるし、しかも知能が高いだけにたちが悪い。必ず遣り込められるし、しかも遣り込められた後には精神的にどっと疲れが押し寄せる。結局、滝川は安原には勝てないから疲れるのだ。しかも、食い下がろうものなら完膚なきまでに打ちのめされるから。しかしながら、滝川が安原との掛け合いも安原自身も嫌いになれないのが事実である。むしろ存外気に入っているように思えてしまうから、余計に肩が下がってしまうのだ。

被虐的なのかもしれないと、恐ろしい考えに辿りつきそうになったところで慌てて思考を打ち止めた。もうこれ以上考えるのはよそう。

滝川は項垂れつつ応接室に備え付けてあるソファにぐったりと沈み込んだ。ただでさえ暑い中を仕事が終わったその足でここまで歩いてきたのだ、疲れているに決まっている。

安原はそんな滝川の様子に苦笑しつつ、席を立った。

「もうからかうのは止めておきますよ。いつものでよろしいですか?」

「ああ、頼むよ」

思いのほか疲れたような声になってしまったのは、いつものを持ってきて欲しいというよりも、からかうのを止めて欲しいという願いの方が強いからかもしれない。

「はいはい」

対する安原は、そんな滝川の心の内に気付いているのかいないのか、軽く言いながら給湯室へと消えた。もちろん、確実に気付いているだろう。

滝川は深く息を吐き出すと、ソファの背に頭を預ける。

暦はすでに一年の九つ目の月を刻み晩夏へと移ろごうとしているというのに、外はまだまだ暑く、日差しは真夏のそれと一向に引けは取らない。それに比べて、ここの涼しいこと。

春夏秋冬どの季節に訪れても、この事務所は常に快適な室温に保たれている。時に快適すぎるのではないかと思うぐらい常に過ごしやすく、麻衣なんかが電気代がもったいないとよく言っているのも納得できる。

大した時間も経たずに安原は、二つのグラスを携えて給湯室から出てきた。どうぞ、と言いながら滝川の前にグラスをひとつ置き、もうひとつをその向かいに置いた。グラスの中の氷が、カランと涼しげな音を立てる。

安原はすぐには席につかず自身のデスクへ戻る。カタカタと淀みない手つきでキーボードを叩くと、パソコンの電源を落とした。

「いいのか?」

「ええ、今日中に終わらせなければならない仕事はすでに終えてありますから」

軽くデスクの整理をして、今度こそ滝川の正面へ腰を下ろした。滝川は安原が完全にソファへ沈むと、口をつけていたアイスコーヒーのストローを外し、グラスをテーブルに置くと口を開いた。

「お前さんに会うのは久しぶりだな」

「そうですね。最後に会ったのは僕がバイトを休む前ですから、四ヶ月は前ですかね」

「そんなに経つか?」と言いながら滝川は視線を中にさ迷わせる。ここ四ヶ月の記憶を呼び覚ましているのだろう。

「てーか、中々会わねぇと思ってたら、お前さん休んでたのか」

「ええ。しばらく休みを頂いてたんです。今知るなんて滝川さんも随分薄情だなぁ」

滝川は、安原の口以上に物を言っているような目線を避けるように、グラスの中の氷をストローでつつく。

「俺も忙しかったんだよ。麻衣にも全然会ってねーし」

図らずも言い訳がましい口調になってしまった。言い訳する必要などどこにもないはずなのに。

「谷山さんも谷山さんで忙しいみたいですしね」

「ああ、綾子も最近会ってないって言ってたな。元気がないって聞いたから会いに来たんだが」

「残念ながら今日は欠勤です」

「みたいだな。……それで?」

「何がです?」

安原はグラスに手を伸ばそうとした動きを止め、正面の滝川に笑顔を返した。滝川はその笑顔に嫌そうに眉を顰める。

「わかっているだろ?」

安原はもう一度微笑むと、グラスへ手を伸ばしアイスコーヒーを二、三口吸い上げる。早くも汗をかいたグラスの水滴が一筋流れた。

「さあ? 滝川さんが聞きたいのは、僕が最近事務所にいなかった理由ですか。谷山さんが今日欠勤している理由ですか。それとも、最近谷山さんの元気がないことですか。はたまた、僕が滝川さんを待ちわびていた理由ですか」

安原は手にしていたグラスをテーブルへ戻すと、わざとらしいほどに清清しく言った。

「僕にはどれだか全くもってわかりません」

言葉は難問が解けなくてたいそう困っているかのように発せられたくせに、貼り付いたような、そしてどこか自信に満ち満ちたような笑顔は変わらない。

いちいち回りくどいんだ、コイツは。

滝川は、すうっと息を吸い込むと、吸った量の倍は吐き出すような気持ちで声を張り上げた。

「全部だ全部!」











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