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10 回り道
綾子と真砂子の痛いほどの視線が注がれる。 責めるようなものではないが、真っ直ぐな視線は、脆弱な心を見抜かれているようで、恐い。 「え……と」 何か言わなくては、と思うのだが、言葉が出て来ない。視線を避けるように顔を下げてしまった。 真砂子のように、自分の考えを言うことは出来ない。だって、考えても、考えても、答えは見つからないのだから。 真砂子の話を聞いて、友人の前進を嬉しく思う反面、実は焦っていた。 だってあたしは前進できそうにない。 真砂子は、しっかりと顔を上げて、地に足をつけて歩き出そうとしている。それに比べて、あたしの足元は定かではなく、ふわふわと心許ない。どこに向かっているのかわからない。どこに向かっていけば良いのかさえもわからない。今の自分は、先の見えない道が怖くて、一歩を踏み出せずに、同じ場所に佇んでいるだけだ。 まだ決まってない、と明るく言えばいい。焦っていることなんて、隠してしまえばいい。 でも、上手く言葉が出てこない。 「まだ迷い中?」 綾子の声に麻衣は顔を上げる。助かった、と思った。 早く。 「あ……うん、そうなの。色んな職種見てはいるんだけど、中々決められなくてさあ」 何か言わなくては、と急かしていた口は、今や勝手に動いていた。 「選択肢がたくさんありすぎるのも困ったものだねぇ」 笑顔が白々しいのは自分でもわかっている。でも、笑って誤魔化さずにはいられない。 「まぁ、まだ時間はあるし、悩めるだけ悩んでみようかなぁと」 自分で自分に、言い聞かせていた。 「そうですわよ。一生のことなのですから、しっかり考えた方が良いですわ」 真砂子が慰めるように笑った。綾子は小さく溜め息を零す。 「だけど、あんまり思い詰めちゃダメよ? 答えは案外簡単かもしれないし」 一本であるはずの糸は、絡みに絡んでいる。解こうとして、解けなくて、余計に絡ませている気がして。これ以上絡まっていくのを恐れて、もう今は、糸に手をつけることすら出来ない。 「自分の気持ちに素直になりなさい」
「そうですわね……」 問われた真砂子は、その答えを探すように遠くを眺めた。そこにはただ夜の街が広がるばかりで、先程別れた友人の影すら残ってはいない。しかし、真砂子は彼女の背が今でも見えているかのように一点を見詰める。 「確かにいつもの元気もありませんし、悩んでいる様子ではありましたわ」 「笑顔も不自然だったし」 「明らかに何か隠しているようでしたわね」 綾子が一拍おいて言う。 「やっぱり、就職のことかしらね」 真砂子は考えをまとめるためなのか、ゆっくりと緩慢な動きで瞬きをする。 「それも含めての将来についてでしょうね。けれど、そんなの特に不思議でもありませんわ。やりたいことが決まっている人よりも悩んでいる人の方が多いはずです」 「ま、そりゃそうでしょ。そんなに簡単に決められる問題でもないし」 あっけらかんとした綾子に、真砂子は厳しい視線を送る。それを見下ろした綾子は、真砂子の視線の意味に気付いたのか気付かないのか、肩を竦めた。 「ほら、あの子、ご両親いないじゃない?」 突拍子もないように思える言葉に、訝しむように眉を寄せた真砂子を気にした様子もなく、綾子は続けた。 「保護されるべき年齢の頃を、あの子は一人で必死に駆け抜けてきたと思うわけよ。もちろん、助けてくれる人はいただろうけど、やっぱり家族って特別じゃない? 全部の家庭が全部円満ってわけじゃないってことはわかってる。でも、大抵は、両親って絶対の保護でしょう。それを失って、麻衣は生きることだけに必死になって走っていた。麻衣はそうでもないって笑うかもしれないけど、アタシたちには想像できないほど大変だったと思うのよ」 真砂子は静かに頷く。真砂子も完全に円満といえる家庭環境で育ったわけではないが、帰る家には電気が点いていたし、自分以外の人間の温もりがあった。いくら想像しようとも、一人で生きていく苦労はわからない。 「今まで『生きなきゃ』と走り続けていた麻衣が、何がきっかけかはわからないけど、何かをするために生きる道があることに気付いた。それで、立ち止まった。アタシたちなんて、立ち止まって、時には脇道に入って、なんてよくあることじゃない。でも、麻衣は久しぶりに立ち止まって、どうして良いのかわからないのよ」 綾子が苦笑するように顔を緩めた。 「偉そうなこと言っても、本当のとこなんてアタシにはわからないんだけどね」 「あたくしたちには何も手伝えないのかしら」 「そうねぇ。結局足を踏み出すのはあの子なんだものね」 「そうですわね……」 表情を暗くした真砂子に、綾子は「だけど」と声のトーンを上げて言う。 「あの子は、もうちょっと立ち止まっても良いと思うのよ」 真砂子は先を促すように綾子を見上げる。 「全力疾走した後には、休憩が必要でしょ? 次に走るためにも、立ち止まってゆっくり歩くことは必要だわ。それに、本当に助けが必要になったら、アタシたちが助ければ良いんだし。何よりあの子には過保護なオヤジもついてるしね!」 綾子の言葉に、真砂子は微笑む。 「そうですわね」 見上げる笑顔が普段よりとても大人びて見えて、真砂子は自分の若さを痛感させられた。その若さが妙に恥ずかしくて、それに加えて少しだけ悔しい。 「あら? 今日は素直じゃない」 からかうように綾子が言う。 「あたくしはいつも素直ですわ」 「どーだか」 先程の会話が嘘のように、軽口が広げられる。 「あら、もうこんな時間」 真砂子はわざとらしく時計を見る。 「あたくし失礼致しますわ。忙しいので」 妙に語尾を強調させた真砂子が、「あなたと違って」と言っているように聞こえる。 「あーら、奇遇ね。アタシも忙しいのよ。明日はデートしなきゃいけないし!」 完全に張り合っている。 真砂子は溜め息を吐くと、綾子を大人だと感じてしまった自分を隠すように言った。 「松崎さんは本当に寄り道ばかりですのね」 「失礼ねー!」 「特に定職についているわけでもありませんし」 「な! これでも拝み屋の仕事結構数こなしているんだから」 「どうですかしら」 わざとのように明後日の方向を見ながら澄ました顔で言う真砂子を、綾子は素早く振り返り睨んだ。沈黙という名の牽制のし合いを暫しの間繰り広げると、綾子は得意げに腰に両手を当てる。 「ま、アタシは家継いでくれる人と結婚することが目標だもの」 真砂子は横目で綾子を見ると、殊更わざとらしく溜め息を吐いた。 「麻衣も貴女みたいに気ままに生きられれば随分と楽でしょうに」 「なんですってー!」 賑わう街と二人の白熱をよそに、夜はただただ更けていった。 back/text top/next |