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09 梅雨の晴れ間
帰国を伝えるときは何故だか歯切れの悪かったナルも、業務連絡を淡々と済ませると、空港まで見送りに行くという麻衣の申し出もにべもなく断りあっさりと帰国していった。 誰もいない事務所に一人で通うのは一週間も経験すれば充分で、業務内容も少ないこの状況には大分前に飽きていた。偶に訪れる依頼者も、伝えられる内容からは目ぼしいものは特になく、やれ腰痛を治せだのやれ運勢をみてくれだの、相変わらずの勘違いばかりだ。 そんな中今日は久しぶりの女三人でのデートである。女三人でのショッピングをデートと言うのは、些かおかしいかもしれないが、麻衣にとってはデートだ。気持ち的な問題である。 幸い梅雨にしては天気もよく、お気に入りのワンピースにお気に入りのミュールを履けば、沈みがちだった麻衣の気分も僅かに上昇をみせる。 人ごみの中を縫うように歩き待ち合わせ場所へと急ぐ。予定より着くのが遅くなってしまったので、彼女たちはもう来ているだろう。 麻衣が待ち合わせ場所であるカフェへ着いたときには、予想通り二人はもう既に席に座っていた。 床から天井までガラス張りの窓から、外を店の中に視線を這わせながら歩いている麻衣の姿を見止めると、綾子は軽く手を挙げて存在を示す。麻衣はそれに気付き笑顔で軽く手を振り返すと、やや小走りに店の入口へと向かった。 「久しぶり」 麻衣は綾子と真砂子の座るテーブルへとつくと、言いながら座る。すると、綾子が肩を竦めた。 「といっても一週間ぐらい前に会ったでしょ」 「綾子とはね。でも真砂子とは約二週間ぶりだもん」 麻衣が同意を求めるように真砂子を見ると、真砂子は「そうですわね」と綺麗に微笑んだ。流石の彼女も今日は洋服を着ている。それもそうだろう、混んだこの街を着物で歩くのは非常に不便だろうし、何しろ着物は目立つ。唯でさえ目立つ容姿であるのに、更に着物を着ていたら相乗効果が起きるだろうことを予想するのは容易い。普段気兼ねなく接していると忘れがちであるが、彼女は芸能人であり、しかもその知名度は決して低くはないので尚更だ。 着物のときよりも僅かに幼く見えるが、夏らしい爽やかな青色のワンピースは涼しげで、彼女によく似合っている。 程なく店員が麻衣の分の水とメニューを持ってテーブルを訪れた。綾子と真砂子は既に飲み物を頼んでいたらしく、それぞれの前には飲みかけのカップが置いてある。麻衣はメニューを受け取ることなくアイスティーを頼んだ。この店はあくまで待ち合わせのために来たカフェであるから、ケーキなどは頼まない。どうせしばらく歩いた後には、どこかでお茶をしよう、ということになるだろう。そのときまで幸せな気分は取っておくことにした。 アイスティーという簡単なメニューであるためか、それはすぐに運ばれてきた。綾子は、それを笑顔で受け取る麻衣を横目で見ると、ひっそりと溜め息を吐く。 「麻衣、痩せたんじゃない?」 綾子は自身のカップに口をつけながら言った。中身は珍しく、ブラックコーヒーだ。 「え、そう? ラッキー」 運ばれてきたアイスティーに口をつけながら麻衣が笑うと、真砂子は眉を顰める。 「ラッキーじゃありませんわよ。元々細かったのですから、痩せすぎだと言っているんですのよ」 「そうかなぁ」 麻衣は不服そうに自身の身体を見下ろした。 確かに最近あまり食欲がなかったのだが、そこまで体形を気にしていなかった。そう言われれば、少し痩せたかもしれない。 「そうよ。何事も程々が一番なんだから。痩せりゃあいいってもんじゃないわ」 綾子は椅子に背を預けると、慣れた仕草で足を組みかえた。そのひどく様になった動作に、麻衣は綾子を見詰める。 「理想の体形をキープするのがいい女のツトメ」 流石にそう言うだけのことはある。綾子の体形は出会った頃から全く変わっておらず、同性さえも思わず憧れてしまうような完璧なプロポーションである。 麻衣は自身でも気付かぬうちに自分の身体と綾子の身体を見比べてしまい、“女”としては貧相な自分の身体に僅かな劣等感を抱く。劣等感といっても、自分の殻に閉じこもってしまうほど悲観的なものではなく、唯単純に“女”として綾子を羨ましいと思ってしまっただけだ。 麻衣だって出来れば綾子のような女らしい体つきになりたいけれど、同時に自分には無理だとも思う。願えば叶う、なんてことには滅多に出会えないことを知っている。世の中そう上手くはいかないものだ。 「それ以上痩せて御覧なさいませ。細い、を通り越してしゃれこうべですわよ」 真砂子が澄ました様子で言う。 「しゃれこうべって……あたしは骨かい」 麻衣の弱々しいつっこみはさらりと無視され、追い討ちをかけるように真砂子は言った。 「健康的なのが麻衣の唯一の取り柄でございましょ。精一杯それを死守なさいませ」 真砂子のあまりの言葉に麻衣はガクリと項垂れた。 「……久しぶりの真砂子の毒は堪える……」 「失礼ですわね! 親切心で言って差し上げていますのよ」 「はいはい。それはどうもー」 「なんですの! 全く気持ちが込められていませんわ」 真砂子はぷいと怒ったようにそっぽを向いた。 そんな真砂子と、ちろりと舌を出しながら首を竦めた麻衣を交互に見ながら綾子は苦笑する。 「なんか、こういうの久しぶりだわー。仲良いわね、あんたたち」 「松崎さんの目は節穴のようですわね」 真砂子は僅かに頬を赤らめると綾子に噛み付く。綾子はテーブルに頬杖をつくと、あしらうように言った。 「じゃれてるようにしか見えないってーの」 あしらえるようになった分、綾子も昔のままではない、ということだろう。以前の綾子であったら、目には目を歯には歯を、ハンムラビ法典の教えよろしく確実に噛み付き返していた。 「うるさいですわね!」 なにが恥ずかしいのかは麻衣にはわからないが、真砂子はますます顔を赤らめる。 真砂子は職業柄からか、もしくはその性格からかもしれないが、友達が多いとは言えない。そのため、誰かと『仲が良い』と言われることに慣れていないのである。綾子の言葉に照れている真砂子は、プライドの高さからそれを隠すように噛み付いてしまう。 何にせよ、麻衣にはそんな二人の様子もじゃれているようにしか見えず、笑いながら言った。この調子が懐かしくて、本当に自然に笑えた。 「仲良いですねー、おふたりさん」 これには、「違う!」と、二人仲良くハモって反撃された。 綾子はここであしらえるようになる程までは成長していないらしい。
雑貨屋や服飾店など、目についた店に入る。麻衣や真砂子が行くような店は、当然、普段綾子が行くことはない店ばかりである。しかし、綾子は文句も言わず、それどころかすすんで二人が好みそうな店へと入っていく。あれやこれやと似合いの服を次々と見繕ってくれたりまでするので、やはり綾子は面倒見がよい。 綾子が服を買うような店にも入ったりするのだが、それはごくたまにでしかない。本人はその理由を、「男に貢がせて自分では買わないからいいのよ」と言っているが、麻衣と真砂子が店内で浮いていると感じるのか気後れしてしまっているので、綾子は気を遣っているのだと麻衣は思っている。もちろん本当に男に貢がせることもあるのだとは思うが。 三時間も歩いて回ると、まず綾子が音を上げた。もう今日だけで聞き飽きた「暑い」という単語を一際大きく言うと、ピタリと歩を止めた。ちゃっかり日陰で止まっているところが、実に綾子らしい。麻衣と真砂子はやっぱりな、と思いつつ後ろを振り返った。この暑さに対する綾子の不満が、いつか爆発するだろうことはすでに目に見えていたことだ。しかし、ショッピングとなると俄然元気の出る綾子が降参したのだ、真砂子も麻衣も口には出さないが当然ばてている。その証拠とばかりに、先から口数が若干減ってきたように思える。体力には自信のある麻衣でさえ、三時間もよく歩いたなと思う。正直言うと、このまま買い物をするよりも涼しい所で腰を下ろしたいと三十分程前から思っていた所だった。最近夏バテ気味なせいもあるが、梅雨特有のこのなんともいえない蒸すような暑さから、体力をいつも以上に吸い取られてしまっているような気がする。 「ちょっと早いけど、お夕飯、食べちゃいましょうよ」という綾子の提案に、麻衣は手元の時計を見る。午後五時半を過ぎたところだ。確かに夕飯には少し早いかもしれない。けれど早過ぎるという時間でもない。麻衣はじんわりと滲む汗を感じ、そのまま太陽を見上げると、その眩しさに眉を顰めた。どんなに不平を漏らそうとも、ただただ平等に光を降り注いでいるように見えるその光源は、ひどく遠い。 溜め息を吐くと、真砂子を窺う。真砂子も同じような気持ちのようだ。 「そだね。そうしよう」 綾子の案に従い、適当な店に入ることにした。
「そういえば、あんたたちももう大学三年生なのよねー」 各々が注文した料理に舌鼓を打ちながらいくつかの話題について喋ると、綾子が何気ない風に話を切り出す。 「早いねー」 麻衣がサラダのレタスをフォークで刺しながら相槌を打った。 「ちょっと前までは、生意気な高校生だったのに、あと一年ちょっとすればもう大学も卒業じゃない」 「同じ分だけ松崎さんも歳を重ねているということですわ」 真砂子の言葉に、綾子の口元が明らかにヒクつく。ここからいつもの口論が始まるのかと麻衣は身構えたが、珍しく綾子が言い返すことはない。じろりと真砂子を睨むと、気持ちを仕切りなおすかのように咳払いをした。 「三年ともなると、就活が始まるわね」 綾子の声は僅かに上ずった。咳払いをした名残かもしれない。 麻衣の手元のフォークが、キュウリを刺そうとして失敗した。 「忙しくなるわね」 「そうですわね」と真砂子は同意するが、麻衣は何も言わない。綾子と真砂子は視線を交わした。 「真砂子は、もう将来とか決めているの?」 「ある程度は」 「今の仕事関係?」 麻衣は真砂子を見詰める。真砂子はその視線を受け止め、考えるように下を向く。少しの間のあと顔を上げると、穏やかに微笑んだ。 「いいえ」 凛とした声は、はっきりとした意思をもって麻衣の耳に届く。微笑んだ表情が妙に大人びて見えた。 「今のお仕事は、大学を卒業したらやめようと思います」 「そうなの?」 「ええ。能力もとうに減退期を迎えておりますし、それに、もうあたくしには霊能者の肩書きは必要ありませんわ」 麻衣の瞳が問うように揺れる。麻衣だけでなく綾子も驚いているように見え、真砂子はそれも当然か、と思った。自分の考えを二人に話したことはない。それどころか、母にも、マネージャーである叔母にさえも話したことがない。 「この能力のせいで幼い頃は、誰にも受け入れてもらえませんでしたわ。小学校のクラスの子にも、親にさえも心の病気なのだと思われていました。だから、霊能者の肩書きが必要でしたの。いつもは気味悪がられることをカメラやマイクの前で喋ったら、誉められてちやほやされて、それが嬉しかったんですわ。でも、もうあたくしには必要ありません。そんな肩書きがなくても居場所を見つけられることが、ようやくわかりましたの」 晴れ晴れとした表情が、とても眩しい。麻衣と綾子が微笑んでくれたのが、真砂子には嬉しかった。 「もちろん、調査には出来る限り協力させて頂きますけど」 付け加えるように言ったその言葉に、麻衣は声を上げて笑った。 「なんだか美山邸の調査を思い出したよ。似たようなこと言ってたよね」 どこかからかうような麻衣の調子に、真砂子は少しツンとする。 「そうでしたかしら」 「そういえば、そんなこともあったわねー! あのときはナル狙いの発言だったみたいだけど」 麻衣とは違い明らかにからかっている綾子の言葉に、真砂子はそっぽを向いた。 「昔の話です」 「そういう綾子もナル狙いだったくせにー」 「な! 違うわよ!」 「隠さなくてもいいって」 「あんたも人のこと言えないでしょー!」 「というか、麻衣は今もでしょう?」 綾子と真砂子の指摘に、みるみるうちに麻衣は顔を赤くした。 いつだったか、真砂子ははっきりと自分の気持ちを伝えて、そして恋に終止符を打った。直後はかなり落ち込んでいたが、今ではもうきちんと“思い出”にすることが出来ている。 それに対し麻衣は、まだ決着をつけられないままでいる。 「いい加減、長いわよねー」 「うるさいなー」 今更、否定はしない。 「そう、うかうかもしていられませんわよ」 真砂子が何かを示唆するように言う。その“何か”に気付いた麻衣は、少し暗い表情をした。 「……わかってるよ」
「麻衣は?」 「え?」 「麻衣は、何か将来のこと決めているの?」
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