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04 無限の疑問
「
安原が、少し顔を強張らせて、麻衣の顔を覗きこんでいた。 「大丈夫?何回も呼んだんだけど」 「あ……」 鈍くなっていた頭がだんだんと通常の感覚を取り戻していく。
「また、体調悪いの?」
安原が真剣な顔をしている理由がわかって、麻衣は慌てて否定する。
「いえ!そんなことはないんです。すみません、ちょっと考えごとしていて」
この前のことを思い出していた。この前、麻衣が事務所を休んだ日の、大学も三年となれば当然のように出て来る話題を。 麻衣は、何でもないように笑ってみせた。何故だか安原はまた難しそうな顔をしたけれど、ふわりといつもの顔に戻った。
「そう、よかった」
安原は掴んでいた肩から手を離しながら、柔和な笑みになった。
「ちょっと休憩しませんか?」
時計を確認すると、すでに三時に近い時間になっていた。今日は授業がなかったので正午からバイトに入ったのである。
「あ、そうですね」
立ち上がろうとした麻衣を、安原は笑顔で止める。
「まあまあ、ちょっと待っていてください。僕がとびっきりおいしい紅茶を淹れてきますから」
安原の笑顔に、麻衣はふっと力が抜けたように笑い返した。麻衣自身も気付かなかったが、いつの間にか眉間に力が入っていたようである。ありがとうございます、と小さく言って安原の申し出に甘えることにした。
ほどなくして所長室から出てきた安原に麻衣は声を掛けた。
「今日はもう上がりですか?」
安原は、申し訳なさそうな顔ですみません、と言った。
「そうなんです。それと、中々会わなかったので言うのが遅くなってしまったんですが、明日から二、三ヶ月休みを貰うことになっているんです」 「ええっ?」
麻衣は流石に驚いて目を丸くした。確かに安原は最近あまりバイトに入ってはいなかったが、二、三ヶ月も纏まった休みを取ったのははじめてである。
「ちょっと忙しくなるんで、バイトに入れそうにないんですよ。調査が入っても来られないかもしれません」 「そうなんですか!?」
麻衣は身を乗り出してしまった。安原が調査に来ないとなると、情報収集は誰がやるのだろうか。安原とまだ出会う前はナルがおこなっていたようだが、それではナルが現場から離れなければならない。調査の効率がかなり悪くなってしまうので、一大事だ。
「ええ。実はこれから試験ラッシュでして」 「試験?」 「はい。院試とか色々あって……」 「え、安原さん大学院行くんですか?」 「どうなるかはわからないけど、候補の一つです」 「すごいなあ」
麻衣の純粋な称賛を、安原はやんわりと否定する。
「そうでもないよ。ロースクール卒業しないと受けられない司法試験もあるからさ」 「ロースクール?」 「法科大学院。まあ、大学院と似たようなものかな」 「大学院とは違うんですか?」 「そうだなあ。微妙な立場にいるってことだね」
由布子ならともかく、大学院に進もうとは思ったこともない麻衣には、大学院について詳しいことはわからない。
でも、院ってことは、
「博士になるってことですか?ナルと一緒の」
これが麻衣の精一杯の大学院に対する知識だ。
「法務博士っていうのがもらえるよ。でもそこが法科大学院の微妙な所で……」
安原は、どう言えばいいかなあ、と首を傾げる。
「法科大学院は二年ないし三年が就業年限なんだ。一般の大学院で博士号がもらえるのはドクターまで行った人、つまり一般的には博士前期過程二年と後期過程三年合わせて最低五年はかかるかな。飛び級みたいにそれより短い人もいるけど」
麻衣は頭の中が疑問符だらけだ。
率直な感想としては、
「とにかく、僕の最終的な目標は司法試験ってとこかな」 「安原さんは、弁護士になるんですか?」 「司法試験が目的で大学に入ったようなものだしね」 「目的、か……」
麻衣は僅かに俯いた。先とは一変した深刻な表情で、それきり考え込んでしまった麻衣を分析するようにじっと見ると、安原は目の色を強くして麻衣に問う。 「……谷山さんはないの?目的」
「あたし、は……」
麻衣は言葉を詰まらせた。
安原の真っ直ぐな視線が由布子の意志の強い視線と重なり、由布子の言葉を思い出させる。
「何もないの?もうすぐ就活始まるでしょう、ちょっと急がないとね」
物腰こそ柔らかではあるが、その内容は厳しい。 麻衣は無言のまま安原の顔を見つめ返すことしか出来ない。
「…………」
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