03 追いつめる











それは、急に休講になって空いてしまった中途半端な時間を潰すために、麻衣が友人たちと四人で学生食堂に行ったときのことだった。学生食堂、いわゆる学食は、お茶が無料で飲むことが出来るしエアコンも備え付けられているので、麻衣たちと同じような目的の学生たちがまばらに席を埋めていた。麻衣たちはお茶を各自注いできて、持参していたお菓子をつまみながら世間話をして時間を潰した。
最初は女の子らしく恋の話に花を咲かせていたのだが、話の流れとは予想できないもので、三十分も経てば話題は180度変わってしまっていた。

「あたしさ、出版系の仕事に就きたいんだよね」
麻衣の大学の友人のひとりである、智子ことサトが、はにかみながら言った。

「小さい頃からさ、雑誌の編集って憧れてたんだ」

冷房がつけられているとはいえ、学食は出入りが多いためあまり効いていない。ないよりはマシであるが、やはり多少暑い。だから、智子の頬が赤いのはこの暑さのせいかもしれない。だけど、自分の夢を話すのが少し気恥ずかしかったのかもしれない、と麻衣は思った。

「あたし、初耳!」

智子の対角に座っていた佳代が少し驚いた様子で言った。

「あたしも、サトからそういう話聞くのは、はじめてかも」

佳代の隣に座っていた由布子も僅かに身を乗り出した。麻衣も、詳しく聞きたい、と言って話を促しつつ、隣の智子に体を向けた。

三人の言葉に小さく頷いて、サトは再び口を開いた。

「あたしもこの前までは編集者になりたいなんて思ってなかったよ。確かに憧れだったけど、すごく大変そうだし、あたしには無理だって思って、端っから選択肢から外してたの」

佳代も由布子も真剣に聞いている。もちろん麻衣も真剣に聞いていた。

「でも、先週、講演会あったでしょう?結構大きな出版社の編集者さんが来ていて、話聞いていたら、素敵だなって思ってさ。自分もあの世界に入りたいな、って思うようになっちゃった」

「あ、その講演会ってあたしも行ったやつ?」

佳代が思い出したように言った。

「そうそう」

「確かにあの編集者さんかっこよかったよね。話し方もハキハキしていてさ、充実した日々を送ってそうだったもん」

本当にそうだったよね、と智子が顔を綻ばせた。

その人を思い出しているのだろう、二人の瞳に尊敬と憧れが混じったような色が見えた。

「でもさ、就活大変じゃない?確か、編集者って競争率高いでしょ?」

由布子が少し深刻な顔をして言った。

それに対し、智子は僅かに眉尻を下げる。

「そうなんだよね」

麻衣は、すっかり肩を落としてしまった智子の背中を励ますように軽く叩き、声を明るくして言った。

「でも、どんな職に就くにしても一緒じゃない?みんな就職厳しいでしょ」

「私らみたいなしがない大学の卒業じゃあ余計に厳しいよね……」

麻衣のフォローは失敗に終わったようだ。
今度は智子だけでなく全員が暗くなってしまう。
無理矢理明るくしようとしても現実はソコにあるもので、目を逸らすことは出来るけれど逃げることは出来ないのだ。大学三年生のこの時期ともなれば、現実から目を逸らし続けることなんて出来ないということもわかってくる。

四人は自然と深いため息を零した。

大卒は大企業へ、高卒は中小企業へ、という時代はとうの昔に終わっているのである。特にバブル景気が終焉を迎えてから、就職は厳しいものとなった。新卒の募集人員はここ数年間でようやく増加したが、それも僅かなもので、しかも長くはもたないと言われている。その一方で、現在日本では史上最長期間の好景気が続いているという話もあるものだから、麻衣には今の日本経済は好景気なのか不景気なのか全くもって不可解である。

「憂鬱だね、就活」

佳代が溜め息と共に押し出すように言った。

「確かに。佳代は、やっぱ公務員?」

問われた佳代は、足を組み替えながら椅子の背もたれに身を預けた。

佳代が2年生のとき大学主催の公務員講座を受講していたことは、三人とも知っていることである。

「まあね。公務員試験、受かるかわからないけど」

「難しいもんね、公務員試験」

「早いうちから準備した方が良いって先輩も言ってたしね」

佳代はこれからのことを想像したのか、少し疲れたような顔をした。

「ゆっこは?受けるの、院試」

由布子は研究職に就きたいと以前から言っていた。努力家で、成績も抜群に良い。成績表には最高評価である『秀』ばかりが並んでいて、麻衣たちは自分の成績表と比べてみてはいつも落ち込んでいる。

「まだ迷い中」

「なんで?絶対受かると思うよ」

由布子は軽く肩を竦める。

「試験に受かってもその後の進路がねぇ。理系ならともかく、私たちって文系じゃない?文系なんてドクターまでいってもそのまま研究者になれる人って一握りしかいないらしいよ」

以前まで募集人員より遥かに少ない人数でも本当に必要な人しか受け入れていなかった大学院であったが、大学が法人化してからというもの、募集人員と同程度の人数を受け入れるようになった。そのため、大学院に進学する人数は増え、博士号を持っている者は以前ほど珍しくない。むしろ、博士課程まで進んだのちに就職しようとしても、年齢的に難しくなるという傾向さえあるのだ。そして、特に文系となれば、あの天下の某大学の大学院でさえ、院生たちの就職先には頭を悩ませているという話もある。由布子が迷うのも仕方がないだろう。

そのあたりの事情をよく知らない麻衣は、へぇと相槌を打つことしか出来ない。

「まぁ、マスターまでなら行ってもいいかな、と思ってはいるんだけどね」

「そっか」

智子、佳代、由布子が各自の進路を語れば、自然と順番は麻衣に回ってくるものである。三人は麻衣に視線を集中させ、代表するように佳代が聞いた。

「麻衣はどうするの?」

「あたし?」

麻衣は首を僅かに傾げさせた。以前よりも少し伸びた色素の薄い髪が、さらりと肩を流れた。

「あたしは就職できればいいや」

「どこでも?」

「うん」

麻衣が当然のように頷くと、一同はそろって不満そうな声を上げた。

「麻衣って夢とかないの?自分の就きたい職に就きたくない?」

「うーん、とりあえず生きていかないといけないからなぁ」

この言葉に、麻衣の事情を知る三人は、先程よりは不満の色を薄くした。

しかし、由布子はさらに言い募る。彼女は優しいけれども、甘くはない。強い正義感とまっすぐな信念を持つ。その信念が麻衣の考え方に、疑問を抱かせたようだ。

「でも、これから先その職場でずっと働いていくかもしれないんだよ。そんな決め方でいいの?」

これには麻衣も少し困った。大学ぐらいは出ておかないと、と思って大学に進学していたが、それはあくまでも就職のためなのであり夢があってというわけではない。


夢。

夢は必ずしも必要なのだろうか。


「確かに麻衣は自分だけで生活してきたし、これからもしなくちゃいけない。それがどれだけ大変なことかは私には想像するしか出来ないよ。でも、だからってやりたいことを諦めなきゃいけないわけじゃないんじゃない?」

真っ直ぐに射抜く由布子の視線には曇りがなく、麻衣は目を逸らすことが出来なかった。

「ちょっと考えてみれば良いよ。夢、というより、この先の人生を。なんでもいいなんて、寂しいじゃない?」

由布子は言葉を区切る。智子は心配そうに麻衣と由布子の顔を見比べ、佳代は由布子に同意するように麻衣を見つめる。



「麻衣の、望む未来は何?」







あたしの、望む未来。






※経済や大学院等の記述に関しては、あくまで一個人の見解と思ってくだされば助かります。





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