暑い。

肌がベタベタしてうんざりする。


起き抜けからこんな気分になるなんて、だから夏は鬱陶しい。

ナルは目に容赦なく降り注ぐ日光に眉を顰め、昨夜カーテンを閉め忘れたことに内心で毒づいた。

以前は一日中快適な温度で生活していたが、近年は違う。麻衣がナルの部屋に来るようになってからだ。

麻衣はナルが一日中エアコンを稼動させていることを知るや否や、体に悪いだとか環境問題がどうのと言い就寝時にエアコンを付けるときはタイマーを入れることを受け入れさせた。

正論を並べているようで、実はただ単に電気代の心配をしているだけだとナルは考えている。

ナルはエアコンを消すようになったときの麻衣との遣り取りを思い出し眉間に皺を寄せた。上半身を起こすと時間を確認しながら、エアコンのスイッチを入れる。

身動ぎする気配を感じ、隣を窺い、ほっと息をつく。ただ寝返りを打っただけで、麻衣を起こしてはいなかったようだ。

一応気にする程度の配慮は持ち合わせている。

片手を伸ばし、麻衣の髪を軽く梳くと、ナルは自身も気付かぬほど微かに表情を緩めた。

ベッドのサイドテーブルに置いてある読みかけの本に手を伸ばしながら、ふと床を見遣ると布の塊を見つける。

ナルは再び彼女の寝顔を見て溜息を吐いた。

「間違いなく、怒るだろうな」

ナルは朝には似つかわしくないほど深い、本日二度目の溜息を吐くと、本を持ったままそっとベッドから抜け出した。




Summer×Summer 04




「お前、ひとりで行こうとしたのかー? そりゃ俺でも止めるわ」

オフィスに入るなりぶすくれた顔で出迎えた麻衣に、事情を聞いた滝川の第一声だ。

数日前の花火大会に一緒に行ってやれなかったことが気になって、様子見に渋谷へと来たのだが、この話題は避けるべきだったのかもしれない。

図ったように安原は休みで、ここの主も今日はオフィスに来ておらず、あとのひとりはいつも通りの篭城らしい。よって、今この応接室には滝川と麻衣しかいない。となれば、麻衣を宥めるという任務は、滝川独りで完了させなければならない。

「まぁ、そう怒りなさんな。ナル坊はお前を心配して止めたんだから」

むくれて何も言おうとしない麻衣に滝川は苦笑する。

「そこまで遅くない時間でも危険はたくさんあるんだからな」

「…………」

「しかも花火大会なんて、ナンパ目的の奴等の宝庫だろ。悪酔いしてる奴も少なくはないし、そんな中浴衣でのこのこ行ってみろ。カモにされるのが落ちだぞ」

「…………もん」

麻衣が小さい声で何か言った。

「あ?」

「それぐらい、あたしだってわかってるもん。一人歩きが危険ってことも、ナルがあたしを心配してくれたってことも。全部、全部わかってるもん」

「じゃあ、なんで怒ってんだよ」

「心配してくれてるってわかってるんだけど、そうは思えないのよ、あいつの態度!」

「あ?」

麻衣はバンッとソファテーブルを叩いて立ち上がる。


「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿繰り返しやがって! どれだけ人を馬鹿にすれば気がすむのよー!」


「ま、麻衣ちゃん?」

「人を小ばかにした目でみるなー! 鼻で笑うなー!」

突然の叫びに全くついていけない滝川を綺麗さっぱり無視して、麻衣の興奮は限界を超え続ける。

ここがどこであるかは、とうの昔に忘れ去られているのだろう。

「『お前、馬鹿だろう』って。どうよ、ぼーさん! どう思う!?」

麻衣は同じソファに座っていた滝川に詰め寄る。

「ど、どうと申されましても……」

「そうだよね、酷いよね!」

他人の話は聞かないことに決めたらしい。

「『馬鹿に馬鹿と言って何が悪い』って、酷すぎるよね! ね、ぼーさん!」

顔を思いっきり近づけられた滝川は、追い詰められたような気分になった。

「は、はひ」

今の麻衣には、同意するしか手段はない。

麻衣は滝川が同意したのを確認し、満足そうに頷くと、元の仁王立ちに戻った。

「だよね! ぼーさんならわかってくれると思ってたよ。真砂子に電話したら『あたくしもナルと同意見ですわ』って言ったんだよ!心底呆れたような声で! 酷くない!? くっそー、あのドSコンビめ!」

「え、えすって、おい……」

「彼女のかっわいーい浴衣姿を見て『そんなことより』呼ばわりよ!?」

「麻衣……キャラ変わってないか?」

滝川の小声のつっこみは麻衣には届かない……というより故意に無視。

麻衣は常から溜まっていたであろう愚痴を、ここぞとばかりに爆発させた。

「お茶ぐらい自分で淹れればいいじゃん!」

「ごもっとも!」

「自分の面倒ぐらい自分で看やがれー!」

「そうですね!」

「『却下』って、何様だー!」

「その通り!」

「たこ焼き機買う金なんてなーい!」

「まったくだ……って、たこ?」

「グチグチ言ってないでさっさと一緒に行ってくれればいいのにさぁ。時間の無駄だっつーの!」

「……それは俺も同感」

「まぁ、これらのことは百歩譲って許すとしよう」

許すなら最初から言わないでくれ、という滝川の心の叫びは麻衣には当然聞こえない。

「あたしが何よりムカついたのわねぇ!」

「まだあるんですか……」

麻衣が床をバンッと蹴り、滝川はその音にビクリと縮こまった。



「あたしがせっかく着た浴衣を、何のためらいもなく脱がしたことよ      ッ!!」



麻衣は今日一番ではないかと思われる発声で言う。

「初めて自分で着付けしたんだよ! 真砂子に教えてもらったのを必死に思い出してさぁ」

「…………」

「髪だってきちんとしたんだから! それをあいつはさくっと……。くー、思い出すだけでもムカツク!」

「…………」

「ちょっと、聞いてるの!? ぼーさん!」

「……おい、麻衣」

「何!? って、ぼ、ぼーさん……?」

いつもよりも低い滝川の声に、麻衣は嫌な予感がした。

非常によろしくない事態に陥ってしまったことに、本能が気付き始める。

「今なんて言った」

「……自分で着付けした?」

「じゃなくて」

「真砂子に……」

「違う。せっかく着た……?」

「浴衣」

「それを?」

「それをぉー……」

「ナルが」

「…………」

「…………」

「あっはっはー。ぼーさんアイスコーヒーのおかわり入れてくるよ!」

空になったグラスに伸ばした麻衣の手を滝川が掴んだ。


「脱がしただと            ッ!!!!!??」


「ぼ、ぼーさん」

「おい、麻衣! どういうことだそれは!!」

「な、なんでもないよ」

「俺は清い交際をしろと言ったよなぁ!」

「もちろん! それはもう清い交際をしてますよ」

「うそつけ     !」

「ちょっ……落ち着こうよぼーさん」

「落ち着いてられるかぁ! おい、麻衣! だいたいひとり暮らしの男の家に……」

それから2時間は説教が続いた。





滝川の叫びが響き渡ると、オフィスの扉の外の影が動いた。

彼は一度オフィスに入ろうとしたものの、中で行われている会話の雲行きが怪しいのに気付き、ドアノブをひねることはせず様子を窺うことにしたのだ。

案の定説教が始まったのがわかると、彼は自宅に戻ることを決めた。

元々、本屋に立ち寄った後、自宅に行くかオフィスに行くか迷い、気まぐれでオフィスに来ただけである。

自宅でも全く支障はない。むしろ、今はオフィスの方が都合が悪い。

「本当に馬鹿だな」

零した小さな声は、渋谷の人ごみの中へと消えていった。




相変わらず、夏は暑い。






END






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