暗く暗い路。
わかるはずもない未来。
根底にある拭い切れない絶望。
生きることへの不安。


あたしはこの先どうなるんだろう。

 

 

 

 








01 駆り立てるもの


 

 

 








暑い。

 

麻衣は無意識の内に空を見上げ、再び視線を前へと戻した。
曇天が重くのしかかり、重圧からくる圧迫感で息が詰まる。雨が降りきることが出来ないとき特有の妙に湿っている空気が肌に纏わりついて不快さを煽る。だからといって人の多さはとどまることを知るはずもなく、悪循環とも言える相乗効果で蒸すような暑さが人々の行く手を阻む。
そんな中、麻衣は滲む汗を碌に拭いもせず帰路を急いでいた。
大学の授業は3コマで終わり、時刻は午後3時過ぎ。特に遅い時間でもなく、通常なら仕事に勤しんでいるはずの時間帯だ。
しかし、麻衣は家への道を早歩きで行く。
勤務先である事務所には、昼に休む旨を告げる電話を入れてある。理由は体調が悪いと言った。
電話を取った相手はアルバイトの安原だった。四年生となった安原は大学の授業は既にほとんどなく、かなり早い時間からバイトに入っている。とはいっても四年生であるから、バイトに入る回数はここ一年でめっきり少なくなった。
とにかく麻衣は、今日安原がバイトに入っていることを知っていて、電話をした。
いや、知っていたから、と言った方が良いかもしれない。
安原がいれば、事務所の電話を取るのは確実に安原の仕事であるからだ。もしいなければ、リンや所長であるナルが電話を取ることになる。
リンならまだ良い。彼は淡々と用件を聞いてくれるはずだ。もちろん、それは彼が冷たいという意味ではない。体調が悪いと言えば心配はしてくれるだろう。

では、誰がだめなのか。
安原とリンが良く、誰がだめなのか。

 

考えるまでもない。ナルだ。

 

では、何故安原とリンは良く、ナルだとだめなのか。むしろナルの方がリンよりも淡々と欠勤を了承するに違いない。
なのに、何故。
理由は簡単だ。ただ嫌だったからだ。
ただ、麻衣はナルが電話に出ることが嫌だった。
嫌というよりも、非常に困ると言った方が正しい。

彼に嘘を吐く自信が、ない。


つまりは、今日の欠勤の理由が嘘だということで、事実体調などどこも悪くはない。
今日欠勤した理由は、ない。
少なくとも、麻衣自身にはわからない。
そして、今自分が急いでいる意味もわからなかった。
わからなくても進む。
よく慣れた道のりを。よく慣れた風景の中を。

進むしか、ない。


あたしには、



進むしか。

 

 

 

暑い。

 


 

滲んだ汗がとうとう耐え切れずに、一筋流れた。


気付けば自室の前にいて、無意識にポケットを探った。聞きなれたキーホルダーの音をさせながら鍵穴に鍵を差し込む。
部屋に入ると蒸すような湿気の多い空気が肌を撫で、麻衣は多少眉を顰めたもののそれには特に頓着せずに、無造作に荷物を放り投げて洗面台へと真っ直ぐに歩を進めた。
勢いよく蛇口を捻り噴出した水に勢いよく手を突っ込む。対して大きくはない両手に水を溜めると、身を屈めて顔を洗う。いや、洗うというよりは叩きつけるという方が相応しかった。
気持ちが悪い汗を水で流すために。
もしくは何かを、麻衣自身にも認知できない何かを拭い去るために、何度も何度も、水を被った。
何度洗っただろうか、キュッと音を立てて蛇口を閉めると、伝う水にも構わず顔を上げる。視線の先には、鏡。

 


酷い、顔。

 

 


ただただ、暑かった。











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